悲惨な記念の日

Posted in deriheru on 3月 31st, 2018 by admin

この時期の話題で一生忘れる事の出来ない出来事を長編でかたりたいと思います。
まずは冒頭にこの話題について不満を言わせてもらいますとあんなおめでたい愛される日にあれほど
悲惨で残酷な人がいるのかと思いました。

運がついてるついてないというレベルではなくすべての人、物に嫌われてる感じでした。
前置きはここまでで・・・ではでは本編へ・・・・・
まだ18歳のころデリヘル店のバイトをしていた頃、バイト先で数か月前から片思いしていたデリヘル嬢がいました。
バイト先でなかなか接点がなく話す事はあっても少し挨拶して一言二言程度。
以外と思いますが、女の子は待機部屋などにいてるので結構しゃべらない事が多いです。
他の風俗店やデリヘル店も同じだと思います。
なかなか距離を縮めることが出来ずにしていた頃、バイトがその日は遅くなりみんなでごはんを食べに行く事になりチャンスと思い誘うとOKが出て数人でご飯に。そこから少しづつメールなどで距離を縮めようやく念願かなって付き合う事に。そしてクリスマスを2週間に控え彼女へとっておきのサプライズを決行しようと意気まいていました。
付き合ってちゃんとしたデートもしていなくエッチもしていないのでこの機会にゲットしたいと考えていました。
そしてクリスマス当日・・・・・・・・いよいよ・・・・あんな事が待っているなんて知る由もなく。

悲惨だった、寂しい結婚記念日
特に5月は気候もさわやかですし、何と言っても、伊藤家ファミリー全員が集まる事が
できる季節だから、毎年5月になるのを、首を長くして楽しみにしているのです。
今年のゴールデンウィークも、福井県に嫁いでいる次女夫婦に合わせて、子供たち夫婦6人、
孫たち5人、総勢13人で、バーベキューをしたり、魚津市のミラージュランドにも遊びに行ってまいりました。

歴史意識は現実をとらえる大きな土台
歴史意識を眠らされるとはどういうことか、フクシマのことで考えてみます。
今も原発事故の被害が続くフクシマで、「一連の事故が、まるで遠い昔の、どこか別の国の出来事であるかのように錯覚させ、復興元年の名の下に、「普通」で「日常」の生活へ戻そうという事態が進行している」と、ある教員が訴えています。